任天堂から『ファミコン』こと『ファミリーコンピュータ』が発売されたのは1983年の7月15日のことです。 この当時、家庭用TVゲーム機産業は群雄割拠の中にありました。
世界で初めてとなる家庭用TVゲーム機は1972年にアメリカで発売されたマグナボックス社の『オデッセイ』だ。 色々と難点も多かったようだが、家庭用TVゲームが商業化を果たす大きな呼び水となった。
その後は複数の企業から短期間のうちに多数の家庭用TVゲーム機がリリースされているわ。 特に日本ではアメリカからのライセンス品と国内企業の開発製品が入り混じっていたし、各製品に関する情報が少なくてユーザーもどれを選べばいいかわからないほど混沌とした様相を呈していたのよ。
というわけでファミコンが出た1983年に日本国内でリリースされた家庭用TVゲーム機を並べてみましょう。
こうしてみると7月だけで5機種もの新ハードがリリースされているんですね。 今となっては考えにくい過密日程ですが、新規産業としての魅力がそれだけ大きかったということなのでしょう。
結果的にはこの中からファミコンが突出した支持を得ることに成功するのだが、その要因のひとつとして当時としては突出した高いスペックを持っていたことが挙げられる。
ファミコンはアーケードのゲームが移植できることを要件に掲げて開発が進められていたの。 それが実現できたことは幸運と言うほかないけれど、アーケードゲームが家庭内でプレイできるというのは最大のアピールポイントになったわ。
だからファミコンのローンチソフトはどれも任天堂が出したアーケードゲームの移植作になっているわ。 キラータイトルとして期待が掛けられたのは『ドンキーコング』、『ドンキーコングJr.』、『ポパイ』の3本よ。
その中から今回は『ドンキーコング』を紹介します。
本作のオリジナルは1981年にアーケードで稼働開始した。 よく知られている話だが、任天堂の主要キャラクターであるマリオとドンキーコングのデビュー作でもある。 この時点ではまだ『マリオ』という名前は付けられていないけどな。
そうした記念碑的作品としての側面もあるけれど、内容面でも数々の新機軸を打ち出した意欲作よ。 固定画面のジャンプアクションは過去に類例がないし、ゲーム内でストーリーを展開させるたのもほぼ世界初と言って差し支えないわ。
そのストーリーは『ドンキーコングにさらわれた恋人のレディをマリオが助けに行く』というものね。 シンプルだけど明確な目的が設定されているのはモチベーションに繋がるわ。 それも正義の徒が悪を討つ展開となればなおさら感情移入度も高まるというものよ。
いや、そもそもレディがさらわれたのはマリオがレディとばかり仲良くすることにペットのドンキーコングが嫉妬したことによる腹いせだぞ。
いわば身内の感情のもつれで起きたトラブルであって、正義や悪といった関係性ではないんですよね。
え、そんな三角関係だったの!?Σ(゜Д゜;)
建設中のビルに逃げ込んだドンキーコングを追え。
本作のステージ数は全3面と少ないが、いずれも違った個性があって飽きさせない。最初は鉄骨と樽のステージだ。
ドンキーコングが転がすタルをジャンプで避けつつ、最上段に捕らわれたレディのもとを目指しましょう。
タルを飛び越していくんだけど、ジャンプ力が小さいからかなり接近した状態でボタンを押さないといけないのよね。 これが案外スリルを感じられるのよ。
普段は避けるしかないタルだけど、アイテムのハンマーを振り回せば打ち壊すことができるわ。 溜め込んだフラストレーションを発散させましょう!(^^)
上段を渡っていくと楽な面。
ステージ2はリフトとジャッキのステージです。 前ステージとは打って変わって足場が減り、落下ミスの危険が高まっていますね。
建設中のビルを登っているという設定だからなのかしら、ステージが進むごとに建付けが心許なくなっていくわね。
後のマリオのゲームとは違い、ちょっとした段差から落ちるだけでミスになるから要注意だ。 なぜかビョンビョン飛び跳ねているジャッキはタイミングを見計らってかわそう。
あのジャッキが跳ねる音が最高に好きなんですよね〜。 本作は効果音も秀逸なんです(^^)
ついに屋上まで追い詰めた。
最終ステージは建設中のビルの最上階です。 ようやく追い詰めたものの、体格差のあるドンキーコングと直接戦うのは無謀です。 ここは鉄骨を繋ぐ8本のボルトを引き抜いてドンキーコングの立つ足場を崩してしまいましょう。
このステージには火の粉に似た『おじゃま虫』という敵キャラが登場する。 こいつはどんどん増えるからなるべく相手にせず、まっすぐクリアを目指すといいだろう。
レディとの再会。
全部のボルトを抜くと、支点を失った鉄骨が崩れてコングが落下するわ。 ついにレディと感動の再開よ。
今となっては理解し辛いことになるが、本作はリリース当時多くの先進性を備えていた。 例えばジャンプの操作をメインに据えたアクションゲームは今日までに数えきれないほど発売されているが、本作以前にはほとんど存在していなかったんだ。
ジャンプでタルや穴などの障害を軽快に避けていくアクティブな爽快感は新鮮でしたね。 ジャンプアクションの開祖と言っても言い過ぎではないと思います。
ゲームの中でストーリーが展開していくのも珍しい試みだったわ。 ステージごとにコンセプトを変えて多彩さを出したり、そのうえで全部クリアしたらエンディングを迎えるゲームはまだ新しかったのよ。
当時のゲームは変わり映えしないステージをエンドレスにプレイするものが多かったから、終わりがあることに驚いたわね。 達成感が感じられて嬉しかったわ(^^)
さて、本作の移植度についてだが、良い所と残念なところが両面ある。 良い所としてはアーケードゲームと遜色のないプレイ感覚が味わえるところだろう。 持ち味であるジャンプアクションの楽しさは何一つ失われていない。
使える色の数が1色少ないからグラフィック面では少々のっぺりしていたり、アーケードでは縦長だった画面比率がTVの形に合わせて横長になっている等の差異はあるけれど、これらは些細な違いと言っていいでしょうね。
残念なところは…やっぱりステージが1つ削られていることね。 これは本当にガッカリしちゃったもの(^^;)
アーケード版は全部で4ステージあったんですよね。 ファミコン版は本来のステージ2にあたるベルトコンベアー面が収録されていないんです。
削られたアーケード版のステージ2。通称『ベルトコンベアー面』
初めてプレイした時はバグか何かでステージが飛ばされたのかと思ったわ(^^;)
他の部分の再現度が高いだけに、入ってないのが尚更残念に感じちゃうのよね…。
その気持ちもわかる。ファミコン版は後に何度も移植されることになるが、オリジナルのアーケード版の方はその機会が少ないしな。 必然的にベルトコンベアー面は知る人ぞ知る存在になっていってしまったし、この時にしっかりと移植されていたらとは思う。
補足すると日本の家庭用TVゲーム機で初めてベルトコンベアー面をプレイできるようになったのは1999年のNINTENDO64用ソフト『ドンキーコング64』内でのことよ。 だけどあくまでミニゲームとしての収録だったから、そのことは広く知られていない節があるのよね。
アーケード版単体の移植は2018年にNintendo Switch向けに配信されたアーケードアーカイブス版を待たなければなりません。 この37年越しの完全移植はファンを喜ばせましたが、実現までにだいぶ時間がかかってしまいましたね…。
もっとも当時は容量不足などの技術的な都合によってアーケードゲームの移植にはサイズダウンを伴うことが通例でしたし、総合的にファミコン版の移植度が群を抜いて高いことには変わりありません。 それにアーケード版を知らないユーザーはそんなことは気にせず楽しんだことでしょう。
それは確かにそうね。 これほどのゲームが家で遊べるっていう衝撃は凄かったわ。 たとえ完全移植じゃなくても、あのゲームもこのゲームもこれくらいの再現度で出てくれるかもしれない…って考えたらワクワクが止まらなかったもの!
ファミコンは発売後1年の間に300万台以上を売り上げるヒット商品となるけれど、まずは本作を含めたローンチタイトルのラインナップがもたらした宣伝効果が絶大だったわね。
アーケードゲームと遜色ない品質のソフトを家庭用向けに作り、量より質を重視する任天堂の戦略は成功を収める。 やがてファミコンソフトは全部で1,200本を超える数の数が作られたが、本作はその原点であり試金石でもあったんだ。
初稿:2007年07月10日
改訂1:2008年05月18日
改訂2:2018年09月10日
改訂5:2024年05月18日